ちょっと立ち止まる日



昨日から 亡き両親のことを ふと思い出すことが多く生前に言えなかったことを伝えたいです。

私は昭和37年11月24日愛知県で両親の次女として生まれました。

家庭の事情で 母の生まれ故郷でもある鹿児島の祖父母に預けられたそうだ。

望まれていなかったのかな~

預けられた祖父母にも 経済的な理由で 養護施設を出たり入ったりの末 祖父の他界がきっかけで両親のもとに帰されたそうだ。

私は自分が何故 転々としなければいけなかったのかを訪ねた。

父親は男の子を強く望んでいたらしい。

また女か、女は一人もう居るから跡継ぎの男の子がほしい と言うのが当初の転々とする理由らしい。父方の両親も男の子を望んでおり

母は実家に預けたらしい。

家族と暮らすようになったのは私が9才の時だ。


今さら何を思い出して愚痴を…

愚痴じゃないよ、感謝だよ。

早くから家を出て 反対する人と結婚 離婚を経験し 子育ても経験

今 おもえば父親は54才で病死 母親は61才で病死

私は今年60才になります。

お父さんとお別れした年齢をとっくに越えたけど 癌で痩せ細って旅立ったのだが 怖かったでしょうね。

辛かったでしょうね。

私も40才の時に癌の宣告受け治療や手術に至るまで成人も迎えていない娘をおいては旅立てない 治療に通う度にお父さんのことを

思い出していましたよ。病室で何度も 母に心配をかけるなよ と顔を見るたびにいってましたね。

お母さん あなたとお別れした年齢に近づいている私ですが 41才だったかな脳梗塞を経験し 治療をしてたころのことを思い出していました。

初孫でもある私の娘を とても可愛がってくれて 嬉しかったです。

貧しかったけど 楽しい思い出も苦しい思い出も 感謝しかありません。

どうして 生きて話せる間に 言えなかったんでしょうね。

苦労と迷惑しか掛けてバカ娘だったけど ありがとうね。

そして暮らしている世界は違うけど 娘と私を見守っていてほしい。

それだけで 私たち親子 まだまだ頑張れそうよ。

身勝手でごめんね。